西光寺の水落地蔵菩薩像

去る7月15日、津島市主催「津島てら・まち御縁結び」の一環として西光寺にて、修復を終えた愛知県指定文化財地蔵菩薩像の公開と解説がなされました。その様子をお送りします。

解説は西光寺住職伊藤千秋様です。

こちらの西光寺ですけれども1545年、足利時代に京都市左京区にあります浄土宗大本山百万遍知恩寺の塔頭として創建されました。

しかしながら1660年、江戸時代初期に知恩寺の大火災で堂部を焼失し、その後幾度かの移転の際、一時期水落地蔵を御本尊とする水落寺と合体をしていたようですが、その後、明治の初めにはお寺は無住となって長い間この地蔵菩薩立像は京都国立博物館に寄託されておりました。

 

その後明治32年この廃頽していた由緒ある西光寺の寺籍はご本尊の阿弥陀如来と水落地蔵菩薩像とともにこちら津島に移ることが許されました。

水落地蔵菩薩の名は近くで小川が堰を作りそこから水が流れ落ちていたことに由来するようです。

この水落地蔵菩薩立像は愛知県と津島市のご支援を得て平成26年から1年をかけ、解体修理が行われ、仏像製作当初の色彩と文様を取戻し、このたび国の重要文化財に指定されました。

 

以前に行われましたX線の調査で、すでに存在が分かっておりました仏像の体内に収められた納入品につきましては、解体時に全て取り出され、現在は空の状態になっております。

この地蔵菩薩像は高さ160cmの、ひばの寄木作りで右足をわずかに前に出して立っております。

仏像が作られました時期は今から800年以上前の鎌倉時代初期、1187年から93年とされております。

これはちょうど源頼朝が鎌倉幕府を開いた年と重なります。

像様の特徴といたしましてはおおかたの地蔵菩薩像は右手に錫杖、左手に宝珠を持っておりますが、こちらの菩薩像は大変珍しく、両の手を胸の前でまき、ひらを仰ぐ姿をしております。

この特徴をもちますのは国の重要文化財である京都六波羅蜜寺の鬘掛(かつらかけ)地蔵菩薩立像と、この水落地蔵菩薩像の、全国で2体しかないと言われています。きわめて貴重な形をなした仏像でございます。

柄香炉を持っていたかもしれないという推測が成り立つようです。

 

この仏像は東大寺南大門の国宝金剛力士像が運慶、快慶らの慶派の手で製作されたのと同じころの運慶周辺の仏師の手になるもと言われております。

この慶派とは平安時代後期から鎌倉時代にかけての仏師の集団の一派で、当時は奈良を拠点とした慶派を初め、京都を中心に院派、円派、この3派が主流だったようです。

 

 

仏像表面の仕上げの色彩と文様につきましても、身体部分はクリーム色の肉色、着物にあたります納衣(のうえ)の表は黄色、裏は緑青色、袈裟である覆肩衣(ふくけんえ)と腰巻のような裾(くん)は薄茶色、と、鮮やかな色彩が施されております。

その上から精密な切金紋様が描かれております。

また、X線透過写真でしか計り知ることが出来なかった仏像内の納入品につきましては、多数の経典を始め、毛髪、焼かれた骨、めのう、小さな泥造りの地蔵菩薩座像など貴重な資料となるものが数多く納まっておりました。

その中でも、特に貴重な記録として注目されておりますのが、地蔵菩薩印仏です。こちらに地蔵菩薩印仏のお写真の方も展示してございます。

この地蔵菩薩印仏とは地蔵菩薩像の木版スタンプを作りまして、それを、半紙に多数押印して冊子状に綴じたもので、これを使って仏像製作の寄付金を募ったようです。

 

浄財を寄進した人の名前、いわゆる結縁者名をその木版スタンプの裏に墨書きして、そのように集められた紙を紙縒りで2か所留めにし、冊子状に綴じたものが体内から多数見つかっております。

この水落地蔵菩薩像の製作にあたっては、広範囲の結縁活動があったようで、上は貴族などの上流階級から下は農民などの一般庶民まで日本全国に地蔵菩薩印仏を用いて浄財の寄付を集める、いわゆる勧進をしたとみられます。

具体的に勧進が実施された地域は大和の国を始め、摂津、河内、和泉などの畿内、紀伊の国、また、信濃や飛騨などの東山道、若狭、越前、能登方面の北陸道、伊賀、伊勢の尾張方面、および駿河、相模、武蔵、下総、甲斐、常陸の国の東海道、と、主に近畿地方から東の地域において周到な準備を踏まえての勧進が実施されたようです。

 結縁者は概算で4000人にも及ぶそうです。勧進場所は主に荘園、宿場、村落、寺や神社であったようです。

 

 

また、水落地蔵菩薩像の脇の毘沙門天王像も鎌倉時代の作であることが分かっております。

不動明王像は時代が新しく、江戸時代のものと伝わっております。

 

 

以上、このたびの修理事業にご尽力をいただきました和歌山県立博物館伊東史朗館長の論文の中から抜粋引用してご説明をさせていただきました。

この日は、今回新たに判明した内容の概要を中心にご案内していただきました。

 

 なお、これら仏像内にありました納入品101点は現在全て名古屋市博物館に寄託されているそうです。

ただし、一般公開はされていないとのこと。

4月には東京国立博物館で公開される機会があったそうです。再びお披露目の機会があるかもしれませんね。

 

津島の歴史もうかがえる、貴重な機会でした。次の公開がまたれます。